丹波の国

例によって例のごとく自転車で遠出。
今回の行き先は亀岡。

ルートは
行き : 京都→R9→亀岡→穴太寺→R372→湯の花温泉→r452→r453→園部
帰り : 園部→R9→八木→r25出雲大神宮→亀岡→R9→京都
走行距離は102.1km。今回も100kmを超えたが、今はこれくらいが限界。




カシミールで高低差を描いてみた。
京都市街より亀岡盆地の方が100mほど高く、さらに湯の花温泉の辺りで
高度を稼いでいる。帰りは行きで稼いだ高度を消費しながら走れるので楽だった。

老ノ坂峠 : 京都→亀岡

京都から亀岡へ行くルートは事実上国道9号一択。
途中、老ノ坂峠(230m)があり、長い上り坂で路肩が非常に狭いのが辛い。
ゆっくり坂を登って、老ノ坂トンネルを抜けると亀岡盆地。
京都を出発して約1時間半。意外と簡単に着いてしまった。

亀山城穴太寺 : 亀岡

少しお腹が空いたので、亀岡に着いてすぐのスーパーでクレープを食べる。
糖分をとって元気になった所で観光。
亀山城明智光秀丹波に封じられて築城した城、
なのだが、現在は大本教の本部になっていて入れない。知ってはいたけど残念。
仕方ないので亀山城は堀だけ見て、次の目的地の穴太寺(あなおじ)へ。




穴太寺 多宝塔 (府文)
多宝塔は初層が四角で二層が丸の平面形を持つ建築。
初層と二層の間が亀腹(白い部分)になっているのも特徴。
四角い初層が安定感を表現するとともに、
二層の丸形とそこから四角に大きく張り出す屋根が変化を与える面白い形式だ。
この多宝塔は江戸時代の建築なのでそう古い物ではないが、
二層目の軒の出の深さや、初層の平行垂木と二層の扇垂木の変化など、なかなかよいと思う。

谷性寺、発見できず : 亀岡→湯の花温泉→園部

次の目的地は谷性寺(こくしょうじ)。明智光秀首塚があるらしく、光秀寺とも呼ばれる。
国道372号線を西へ向かう。湯の花温泉付近の坂を越えれば、後は楽な田舎道。
気持ちよく飛ばしたのはいいのだが、谷性寺が見つからない。
地図に載っていなかったので大雑把な場所だけ覚えていたのだが、
現地に何の標識も無く、通り過ぎてしまったらしい。結局発見できなかった。


この辺りで距離計は約45km。そろそろ帰りはじめないといけないのだが、
湯の花温泉の峠を越えるのは嫌なので、川の流れに沿って園部へ向かう事にした。

昼食を求めて : 園部→八木

出発してから食べたのは亀岡でのクレープのみ。
さすがにお腹が空いてきたので園部で昼食の予定…だったのだが、
園部、何にも無かった。国道9号沿いにコンビニすらないのは厳しい。
昼食を求めてR9を亀岡方面へ走るも、ドライブインの類は全滅。ラーメン屋も休業。
八木でコンビニを見つけてようやく人心地つくことができた。

出雲大神宮丹波の国 : 八木→亀岡

このまま国道9号を帰っても面白くないので、ちょっと寄り道して出雲大神宮へ。
出雲大神宮は名前の通り、出雲大社と関係があるのだが…
出雲大神宮出雲大社から勧請した」という説と
出雲大社出雲大神宮から勧請した」という説があるらしい。
本家と元祖の争いみたいなものだろうか。
ここの本殿は鎌倉時代の建築で重文なのだが、玉垣に囲まれてあまりよく見えなかった。


出雲大神宮の辺りは丘陵になっていて、亀岡盆地を見渡すことができる。
盆地を流れる大堰川を眺めながら、ちょっと歴史について考えてみた。
亀岡盆地は思っていたより広く、峠のすぐ向こうには大消費地の京都が控えている。
つまり、経済的に有利な場所で、一定の兵力を養うことができる。
ここを押さえれば、京都に大きなプレッシャーを与えられただろう。
この重要な丹波を光秀に任せていた信長は、心から光秀を信用していたのではないか。
自転車で走っていると、近代化以前の人々の距離感や地形に対する感覚が分かるような気がする。

帰途 : 亀岡→京都

亀岡に戻ったのが4時。さらに回転寿司で昼食兼休憩をとって4時半。
帰りの老ノ坂峠は路肩が狭くて危ないので明るい内に通過したい。
ここが踏ん張り所と頑張って坂を登る。なんとか残照がある内に峠を通過することができた。
後は京都市街をゆったり走って帰宅。やはり疲れた。

行程表

10:15 京都 0.0km
(1h35m)R9 (24.6km)
11:50 亀岡 24.6km
12:15 (休憩25m) 24.6km
(2h25m)R372→r453(31.2km)
14:40 園部 55.8km
(1h25m)R9→r25 (20.0km)
16:05 亀岡 75.8km
16:40 (休憩35m) 75.8km
(1h25m)R9 (26.3km)
18:20 京都 102.1km