"9:1" : つくば→鷲宮→さきたま古墳群→寄居

久々の週末サイクリング。できれば秩父まで行ければと思ってつくばから西へ走った。
(結局、秩父には全く届かなかったのだが。)

つくば→関宿(せきやど)→鷲宮

つくばから県道24号を西へ向かう。小貝川、鬼怒川を越えて境町へ。
境町から利根川を渡ると関宿だ。
関宿は利根川と江戸川が分岐する場所にある。水運が物流の中心だった江戸時代から明治初期にかけて
交通の要衝として重要な役割を果たしたようだ。
利根川自体も江戸時代に太平洋へ流れるように付け替えられている。
関宿城博物館でそういった水運と治水の歴史を知る事ができて面白かった。


関宿を後にしてさらに西へ。すぐ近くに"例の"鷲宮神社があるのでついでに寄ってみる事にした。
神社に近づくと駐車場が混雑しているようで、ちょっとした渋滞が起こっていた。
まさか、まだ例のアレで賑わっているのかと思ったのだが、そうではなくて七五三の参拝客のようだ。
普通の参拝客とアレ関係の参拝客の比率は9:1といった所か。
一年半ほど前に来た時はこんな感じだったのだが、まっとうになったものだ。




七五三
七五三の参拝に来た親子が参道を歩いていた。子供のおめかしした格好と親の黒、銀杏の黄色が対照的だった。
[ Nikon D200 + Voigtlaender Nokton 58mm F1.4 SL2 / F5.6 ]




絵馬の現状
参拝客は9:1くらいだったが、絵馬の割合はまだまだご覧の通りの状態。
前回も思ったのだが、この神社に関係ない(寺社の/キャラクターの)絵馬が掛かっているのはどうかと思う。




気遣い
神社入り口の鳥居の前で七五三の記念撮影をやっていた。奥の老人は自転車でやってきたのだが、
写真に写らないようこの位置でしばし待っていた。その小さな気遣いが印象的だった。
[ Nikon D200 + Voigtlaender Nokton 58mm F1.4 SL2 / F8 ]

三成大失敗 : 鷲宮→さきたま古墳群→忍城

鷲宮から国道125号でさらに西へ走る。次の目的地はさきたま古墳群だ。
典型的な田園地帯の国道をまったり走っていたら、途中で場の雰囲気にそぐわない渋滞が起こっていた。
どうやらB級グルメのイベントがあったようだ。イベントを見に行ってもいいかとも思ったが、人混みは嫌なので通過。
国道125号から、やや工業地っぽい雑然とした道を経てさきたま古墳群に到着した。




石田堤
写真は丸墓山古墳の上から見たもの。写真に写っている古墳へ通じる歩道は、戦国時代に石田三成
忍城を水攻めにした際に築いた堤防の跡らしい。この丸墓山古墳の頂上にも陣が張られたようだ。
忍城攻めは秀吉の小田原城攻めの支作戦として行われたものだが、結局忍城は水攻めされても落ちず、
小田原城が落城した後で小田原に篭城していた城主の命令でようやく開城した。
三成の水攻めは大失敗に終わった訳で、この事で三成は戦下手という印象が強くついてしまっている。
実際には秀吉が直接水攻めを指示した書簡も残っているらしく、水攻めの着想も秀吉による物だったのかもしれない。
どうして備中高松城ではうまくいったのが、忍城では失敗したのかがよく分からなかったのが残念だ。




忍城
さきたま古墳群から忍城跡へ移動。今ある忍城は戦国時代での位置とはやや違うらしい。
いずれにせよ、湿地帯に浮かぶ島の連なりを橋で連絡して城にした物で、
そういう意味では備中高松城とよく似ている。やはり違いが分からないのが残念だ。

ラストスパート及ばず : 行田→寄居(→つくば)

忍城を見終えてさらに西へ向かう。観光に時間を使い過ぎて既に秩父までは届きそうもないが行ける所まで走る。
忍城のある行田から少し南に走って荒川沿いへ出る。ここから堤防上の道をしばらく快走。
堤防上の道が切れた跡は県道81号でさらに西へ。だが関越自動車道を越えた辺りで暗くなりかけてしまった。
荒川が山間部へ入る入り口に当たる寄居に着いた時には薄暗くなっていた。
ここから先へ進んでもすぐに暗くなってしまうので残念ながらここで終了。


帰りは寄居駅から東部東上線朝霞台へ。武蔵野線南流山まで行って、つくばエクスプレスでつくばへ帰った。
自転車で走ったルートに比べると大分遠回りをしている。
関東は東京からはどこへ行くにも便利だが、環状のルートが充実していないのが辛い所だ。