初日山、二日目海 (18きっぱーシリーズ3&4) : 金沢、七尾へ

今回は泊りがけでサイクリング。
金沢のビジネスホテルを予約して出発。
初日は福井から金沢まで、二日目はその日の気分で決める事にして出発した。

一日目前半 : (京都→)福井→勝山→白峰

青春18きっぷで京都から福井へ。
京都駅始発の列車に乗ったのだが、意外と乗客が多かった。
米原敦賀間は列車が2両しかなく、乗客も多くて座れなかった。
敦賀からは座ることは出来たが、無駄にデッキのある車両で自転車の置き場所に苦労した。


福井駅で自転車を組み立てて出発。
一日目の予定は福井から金沢まで走ることなのだが、ルートを決めていなかった。
普通なら北陸本線沿いに北上する所だが、この日は何となく山を走りたかったので
一旦内陸の勝山に入って、そこから峠を越えて手取川沿いに北上するルートを選んだ。


福井から勝山へは九頭竜川沿いの快走路。勝山からは峠越え(谷峠)に差し掛かる。
恐竜博物館(立ち寄りたかったが、時間が無いので今回はパス)の前を通って国道157号を走る。
この峠、地図では旧道の所に標高700mの表示があり、
その200m下をトンネルが通っているように書いてあった。
標高500mならそれほどでもない、と思って登っていたのだが
体感的に500mを過ぎても一向に峠に着く気配が無い。
どうやらトンネルが標高700mだったようだ。思いのほか本格的な峠越えをしてしまった。
峠を越えると白山の麓に当たる白峰まではあっという間だった。




登って来た道を振り返る
谷トンネル手前から勝山方面を見る。
写真の左手奥に見えている平地の辺りからここまで登って来た事になる。
街からこれくらい離れると山深い雰囲気になっていい。

一日目後半 : 白峰→金沢

白峰の辺りは白山の西側の麓で、白山信仰の影響が強かった土地だ。
そういった面影が見られないかと白山麓民俗資料館へ行ってみた。
農村の暮らしに重点を置いた展示で白山信仰に関する展示の割合は多くなかったが、
数件の農家が移築保存されていて見ごたえがあった。
急斜面の多い山村では水田を作れないので、
村から離れた山あいに簡易の出張所みたいな建物を作って、
そこを基地にして焼畑を行っていたようだ。(出作り)




杉原家住宅 (白山麓民俗資料館)
この資料館で最大の保存農家がこの杉原家住宅。
内部は居間(2室)、客間(2室)、仏間と整えられていて、力のある豪農だった事が窺える。


白峰で昼食をとって、一路北へ向かう。
しばらくは手取川ダムでできた手取湖沿いを走る。
湖沿いの気持ちのいい道を想像していたら、トンネルと橋で直線的に抜ける道がついていて
ややイマイチな道だった。でも最後に現れたロックフィル形式の手取川ダムは迫力があった。


ダムを過ぎ、川沿いの道をさらに下り続けると山間を抜けて視界が開けてくる。
この谷の入り口付近にある白山比め神社(しらやまひめじんじゃ)に立ち寄った。
白山比め神社は加賀側からの白山信仰の拠点なのだが、あまりそういった歴史は感じ取れなかった。
船の錨が奉納されていたのが白山信仰らしさ、だろうか。
(白山は沖を航行する船にとって針路の目安になったので、航海者から信仰を集めたらしい。)


白山比め神社からはゆったりと広がる平地に沿って走ると金沢まではすぐ。
日が暮れるより前に金沢市街へ入る事ができた。
金沢城を(外から)眺めて、スーパーで夕食を買い込んで宿泊先へ向かった。




空の赤、街灯の明
金沢到着して、とりあえず金沢城を見に行った。
有名な石川門の前にかかる橋の街灯と空の赤さが印象的だったので、石川門そっちのけで撮影。

二日目前半 : 金沢→羽咋

泊まったビジネスホテルで朝食のパン(おいしかった)を食べて出発。
行き先は出発直後まで迷っていたのだが、
この日の風向きが南風だったので北に向かう事にした。


金沢の市街地を抜けて北へ向けて走る。
市街地から離れると広い土地いっぱいに水田が広がっている。
開放感のある気持ちいい光景だった。




稲穂の海と青い空
金沢の北部には広い水田地帯が広がっている。
近くの河北潟(かほくがた)は地形を見ると元々湖だったのを干拓したようだ。
この日も天気に恵まれて気持ちのいいサイクリングになった。


この付近には能登半島へ向かう能登有料道路が走っている。
それに平行して自転車道能登海浜自転車道というのも走っているようだ。
海沿いに走れたら気持ちがいいだろう、と思って行ってみたのだが
自転車道には砂浜からの砂が溜まっていてとても走れる状態では無かった。
仕方ないので国道159号で北上する。


途中、モーゼパークというのに立ち寄った。どうやらモーゼの墓がこの辺りにあるらしい。
何を言っているのかよく分からないと思うが、モーゼというのは旧約聖書のモーゼの事だ。
…やっぱり意味が分からないが、どうやらそういう伝説があるらしい。
行ってみると、ただの古墳(三ツ子塚古墳)だった。
こんな事言い出したのは誰だ、と思って説明を読むと、かの竹内文書が元ネタらしい。
竹内文書によればキリストの墓も日本にある事になる(青森県にあるらしい)ので
さもありなん、といった所だ。


その後は前田利家佐々成政の戦いの舞台となった末森城跡の近くを通って北上する。
国道249号を羽咋(はくい)に向かって走っていると、この先の街への距離を示した標識があって
"↑ 輪島 82 km" …能登半島は大きい。輪島からでも先端の珠洲までだいぶあるというのに。
そうやって走っているうちに羽咋に到着。




気多大社 本殿・拝殿 (国重文)
気多大社能登国の一宮。それだけの事はあって深い森を背負った趣のある神社だ。
そうやって見て周っていると突如大勢の観光客が押し寄せてきた。
どうやら観光バスが着いたらしい。折角ゆったりした気分で散策していたのに。
神社自身も気合が入っていて、授与所では色々なタイプのお守りをプッシュしていた。

二日目後半 : 羽咋→七尾(→京都)

羽咋からはJRの七尾線にそって七尾まで走る。
この辺りでは完全に順風で、速度は30km/hを越えっぱなしだった。
原付だと法定速度以上だが、自転車の制限速度は自動車と同じらしいので大丈夫。
羽咋〜七尾間の約25kmを1時間程度で走りきった。


七尾では七尾城史資料館を訪れた。
七尾城は能登畠山氏の拠点で、戦国時代有数の堅固な山城。
かの上杉謙信の攻撃を一度跳ね返している。
(第一次攻城戦では北条氏が上野国に攻撃したため撤退 / 第二次攻城戦で内乱により落城)
資料館は割と地味めな展示でやや残念。


併設されていた庄屋の保存民家を見学すると、資料館の方がいろいろ説明してくれた。
上杉謙信が攻城戦の際に詠んだとされる漢詩「九月十三夜陣中作」が有名らしく、
詩吟で吟じてくれた。詩吟を生で聞くのは多分初めて(しかも一対一)だったが、
声の通りが印象的だった。
その他にも能登畠山氏は江戸時代も高家として存続し、会社を起こしたりして
今でも続いているとか、色々な話を聞く事ができて面白かった。




七尾港・"終電"前
七尾港は湾に囲まれた天然の良港。
せっかくここまでやって来たので港で記念撮影。
といっても、この写真ではどこの港かは分からないが…


資料館を後にして、七尾駅へ向かう。
17:33七尾駅発の"終電"に間に合わせるため素早く撤収。
青春18きっぷ使用なので特急には乗れない。全て普通列車の長旅だ。
七尾から七尾線で金沢へ。金沢からは敦賀行きの長距離各駅停車。
さらに米原でも乗り換えて、ようやく京都に着いたのは00:14。
6時間半も掛けてようやく帰ってくることができた。

まとめ

初日は何となく山を走りたくて峠越え、
二日目は山は飽きたので海に近いルートと山と海が対照的な二日間だった。
初日は白山が見られるかと思ったのだが、近づきすぎたせいか殆ど見えなかった。
白山には何となく憧れのようなものがあって、いつか登ってみたいと思っている。
二日目は能登半島の大きさを実感した。
金沢から一日かけているのだが、七尾は能登半島全体から見れば半分にも行っていない辺りだ。
こちらもいつか時間をとって一周したいものだ。


1日目


走行距離 : 113.4km
走行時間 : 5時間05分
平均速度 : 20.7km/h
最高速度 : 40.5km/h

2日目


走行距離 : 90.0km
走行時間 : 3時間44分
平均速度 : 24.1km/h
最高速度 : 43.0km/h