傾奇者の歌舞伎鑑賞

この日は母親に連れられて南座で歌舞伎鑑賞。
歌舞伎を見るのは生まれて初めて。
あらかじめ上演演目のストーリーを予習して行ったので
分からないなりにも十分楽しむ事ができた。





「まねき」のあがる南座
南座での吉例顔見世興行では役者の名前を書いた「まねき」が掲げられる。
ニュースにも取り上げられる京都の冬の風物詩だ。



演目は「佐々木高綱」、「一條大蔵譚」、「お祭り」、「封印切」。
最初の「佐々木高綱」は演出と台詞回しが面白かった。
高綱が梅の枝を折ってしまう→高綱の娘が枝を拾って心配する、とか
出家を決めた高綱が、その師匠となる僧と出発する前の梅の花が散る演出。
そして決め台詞の「ここにも悟られぬ人が居るのう」。
"偏屈者の美学"といった感じだろうか。


分かりやすく面白かったのは「一條大蔵譚」。
源氏の流れを汲む貴族、一條大蔵卿は、平家全盛の時代を阿呆のふりをしてしのいできた。
源氏のスパイがその様子を探りに潜入する。平家の手の者に見つかって争っている所に
本性を現した大蔵卿が登場する…といった話。
前半の大蔵卿の阿呆っぷりとラストの本性を現した時のギャップ。
源氏方武士と平家方武士(?)のぶつかりあい。
お互いに見得を切りあったりして、見せ場たっぷりだった。


意外に楽しめたのは「お祭り」。これは劇ではなくて踊りなのだが、
ほろよい加減で踊る主役を演じる片岡仁左衛門が軽妙な雰囲気で楽しませてくれた。
客席から「待ってました!」の声に対して「待っていたとはありがてぇ!」の掛け合い
(これが「お決まり」らしい)もしっかり見られた。
こういう客席を巻き込んだやり取りを楽しめるのは、やはり生で見る特権だろう。


次の「封印切」では片岡仁左衛門は敵役で登場。
ここでも軽妙な言い回しで楽しませてくれた。
お茶屋を舞台にした話なのだが、敵役(典型的な"いやなお客")が話す際の
周囲の女中たちがあからさまに顔を背ける様子なんかも面白い。
回り舞台をつかった場面転換での店表の明るい雰囲気と、
裏手での暗さの表現のギャップも面白かった。




二階席から舞台を望む
今回の席は二階の最前列から通路を挟んだ後ろの列。
舞台全体がよく見渡せて、割と見やすい席だった。
次見るときは一階席で(多少見づらいかもしれなくても)臨場感を味わってみたい所。


見終えた後は南座の隣の店で名物(?)のにしんそばを食べた。
味の染みたにしんが美味しかったが、そばと一緒になっている理由がイマイチよく分からなかった。
にしんが京都名物なのは、にしんの干物が海の無い京都で重宝されたのが理由らしい。


分不相応な贅沢をしてしまった一日だったが、十分に楽しむ事ができた。
相応な身分になってまた見たい物だ。
あと、能・狂言文楽、落語などの他の伝統芸能もいつか見てみたいものだ。